ご案内
柔らかな気持ちこそが、硬直しない、つまりオバさんにならミラノコレクションには世界中からファッションジャーナリストや雑誌の編集者、新聞記者、バイヤーたちが集うファッションの一大イベントである。
東京に帰ったらミラノコレクションの取材を終えて、私は思っていたやはり好きだと思って買ったチョコレート色の靴を、きれいに磨いて楽しんではこう。
ただし、買おうとかねてから目をつけていたチョコレート色のジャケットは、もう一度じっくり考えてみよう。
本当に似合うのかどうか、もたら流行の竜巻が吹き上げた砂塵で、目が曇らされていたのかもしれないから。
透明で厳しい目をもって判断したい本当に自分をきれいに見せてくれる一着かしら、と。
つまらないファッションショーのときは、メモを取るノートにそんなマダムたちの姿をスケッチする。
あ、あの人は去年もあの席だった、あの雑誌の編集長は、今回は来ていないのである。
彼らは私が住んでいた時に出会った主婦たちとはまた違う、キャリアウーマンの貫禄と余裕、洗練されたたたずまいをもっている。
日本では決して見ることのできないものだ。
なぜなら彼女たちの年齢はほとんどが四十代以上だからである。
珍しく若いな、と感じる人でも三十代、明らかに二十代とわかるような女の子は、まず来ていない。
外国の新聞や雑誌のシステムがどのようになっているのかには詳しくないが、コレクション取材に来る人々はリーダー的役割を担っているのだろう。
だからこそ四十代の女性たちがこんなにも輝きを放っている。
私にとってコレクション取材の楽しみは、シーズンにさきがけた、デザイナーたちの発表する新しい服を見ることだけでなく、むしろ会場で出会う素敵な四十代や五十代のマダムたちを観察することの方が大きいといってもいい。
ここでは素敵な人の人口密度が実に高い。
一人一人、じっくり観察するのも楽しいのだが、とにかく格好いい年上のマダムたちの波に自分の身を浸していると元気が湧いてくるジャーナリストの地位が日本とはケタ違いに高い欧米では、たいていのマダムたちは経済的にも豊かな印象だ。
だが彼女たちを魅力的に見せているのはそれだけではない。
やはり女として自分を美しく見せることに関してのプロなのだと思う。
舞台をはさんで向かいの席には見覚えのあるマダムが座っている。
フワリとセミショートにした黒い髪が印象的で、会場で何度か見かけて忘れられなかった人だ。
イタリア人には日本人と同じような黒髪の人が割合多い◎背もさほど高くない人が多いので、何か日本人と共通項があるようにも思えるが、全身のたたずまいを眺めてみるとまったく違うことがわかる。
まず顔が男顔である。
まるで"女にしておくのは惜しいような″と形容したくなるほどの、キリリとした鼻筋、とがったあご、深い目元の彫りといった特徴のある顔の人が多い。
ね、残念、などと思いながら外国人ジャーナリスト席を眺める。
ファッションの世界に生きてこの道何十年といった彼女たちは、目尻や首筋に深い雛が何本も見てとれる。
威厳と自信に溢れ、また女としても存分におしゃれを楽しんでいることが感じられて、舷しいくらいだ。
このマダムも黒いサングラスののった鼻がスッキリと高く、とても知的な印象だ。
彼女が着ているのは深い夜空の青のベルベットのテーラードジャケットである。
このシーズンにベルベットは流行していたが、まだ実際に着ている人は少なかった。
やはりこの素材をふだんの仕事着として着るには、なかなか勇気がいるなと思い、私も手を出しかねていたところだった。
彼女の着こなしは決してフォーマルっぽさを出さない、上手いコーディネイトぶりだった。
シングルのそのジャケットの下には首をすっぽりとおおう、ゆったりとしたタートルセーターを着ている。
その色が微妙な青銅色である。
ミッドナイトブルーに青銅色。
同系色のブルーとはいえ、めったに一緒に合わせられることのない色同士だ。
ミッドナイトブルーには赤が、青銅色には緑が入っているので、ひとつ間違えれば同じ青でも不協和音をおこしかねない。
うまくいっているのは、ジャケットの量感が多く、青銅色のセーターが差し色程度の見え方になっていること、ベルベットとニットという素材の組みあわせに肩の力の抜けたカジュアル感が出ていることだった。
もし中に着たのが、青銅色でもシルクのブラウスであったなら印象はずいぶんと違っていただろう。
目を下に転じれば、パンツは黒いストレッチ素材のぴったりしたカルソン、それにスエードの、やはり黒いローファーをはいている。
足元にはアニマル柄の大きなショルダーバッグを置き、ひざの上にはメモを取るためのノートと共に、鮮やかなサーモンオレンジの大判のマフラーがのっていた。
全身を複雑な青から黒への色あいでまとめ、そこにハツと人目を引くサーモンオレンジというアクセント。
若々しいバッグの選び方に、おしゃれの年季が感じられた。
年の頃は間違いなく四十代だろう。
彼女にはカルソンも、ペタンコのかかとの低い靴も、ちょっと不良っぽいアニマル柄のバッグも、何ひとつ違和感がない。
無理に若づくりをしているわけでもない、ごく自然に、もう何年も前からこの人はこの"スタイル"を自分のものとして手にしてきているのだな、と思わせられる説得力があった。
浮いたところがないのに際立っている。
そんな彼女を「ミッドナイトブルーのひと」と私は名付けることにした。
たとえばジャンフランコフェレやミラショーンのショーには、全身アイボリーホワイトでまとめたようなお金持ち風のマダムが多い。
プラグやグッチといった若手のショーには、それぞれの服を思い思いに着こなした、いかにもファッションフリークといった若い人たちが目につく。
その二人おいて隣には、午前中のジルサンダーのコレクションにも来ていたマダムが座っていた。
ファッションショーでは、来る客もそれぞれのデザイナーの特徴を反映した雰囲気の人々が集まることが多い。
私たちジャーナリストのように、ほとんどすべてのショーを観て回る者も多いのだが、それでもやはり各ショーには、いかにもここの服のイメージといった人々の方が、ずっと大勢になる。
ジョルジオアルマーニのショー会場ともなると圧巻だ。
肩のラインの、一目でアルマーニとわかる美しいパンッスーッに身を固めた、上流階級の女性たちや女優で最前列は占められる。
他の豪華で保守的なデザイナーのショーとは一線を画す、アルマーニの女たちの夜である。
パンッスーッがこれほど一堂に会するのも珍しい。
色は圧倒的に黒、紺、グレー。
きらびやかな装飾は必要ないと考えている、とびきり美しい人たちばかりが集まるスノッブな空気に触れたくて、このショーばかりは早めに行って来る人々を観察する。
ジルサンダーというデザイナーのショーもまた、パンッスーッの人が圧倒的に多い。
だがアルマーニと違って、もう少しマニッシュ度が高い。
ジルはいかにもドイツ人のデザイナーらしく、華美なところの一切ないミニマルなデザインで常に注目されているが、この会場で見かけるマダムたちもまさにそんな印象である。
アルマーニが、ヒールが少しあるきゃしゃな靴で着るパンッスーッだとすれば、ジルサンダーには堅牢な男仕立てのローファーが似合う。
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